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私は北野武監督の作品が好きです。
と、言っても見たことがあるのは
- HANA-BI
- BROTHER
- 菊次郎の夏
の3作品だけなんですけどね。
この3作品があまりに好きすぎて何度も何度も見てしまったために、逆に他の作品を見られなくなってしまったという・・・。
いや、絶対にいいに決まってるんでしょうけど、他の作品を見る時間があるならまたこの3作品を見てしまいます。
実はアウトレイジ見てないんですよ!
でも最終章まで完結したし、ぼちぼち見てみようかなと思ってブルーレイを注文しました。
以下、ネタバレがありますのでご注意ください。
でも見たことがない人でも大丈夫なように書いてみたいと思います!
菊次郎の夏
さて、菊次郎の夏という作品は北野武監督作品の中でも、ある意味最も有名で、それなのにある意味北野武監督らしくないようにも見える作品のひとつです。
公開は1999年6月、今から20年以上前になりますね。
最近ではアウトレイジの爆発的なヒットによって、北野武=やくざ映画が基本になっています。
監督はやくざの世界を泥臭く美しく描くことが特徴で、やくざの年代としては全盛期が終わりかけのいわゆる経済やくざなど、ごたごたした時代を描くことが多いです。
しかし菊次郎の夏は、ほぼやくざが登場しません。
この物語は、チンピラくずれの中年「おじさん」と、父を亡くし母と別居しおばあちゃんと二人で暮らす少年「正男」のお話です。
この奇妙な組み合わせの二人には、幼い頃から母と離れて暮らすという共通点があります。
夏休みなのにどこにも連れて行ってもらえない「正男」は、母親が愛知県の豊橋に住んでいることを知り、東京からなんとかして会いに行くことを決意します。
子どもだけで行ける距離でもなくお金もない、そんなとき「おじさん」はひょんなことからまさおを連れて豊橋まで行くことになります。
しかしチンピラくずれでどうしようもない屑と言ってもいいおじさんは、競輪場やキャバクラなど寄り道しヒッチハイクを繰り返しながら、少しずつまさおの母親の住む町に近づいていきます・・・。
内容についての詳しいことはこのあたりを・・・😅
多くを語らない映画
私にとってこの映画は、多くを語らないところにその良さがあると思っています。
おじさんや正男が思っていることの多くは、表情だけで語られています。
シリアスなシーンのセリフが極端に少なく、実際にどういう心情なのかは察するしかありません。
特に好きなシーンは、おじさんが幼い頃に自分を捨てた母親が入居する老人ホームを訪れるシーンです。
なぜ訪れたのか・・・はここでは伏せますが。
老人ホームで誰とも心を通わせず、他人を拒絶して孤独に生きる母の姿。
それを影から見つめる北野武演じる「おじさん」の表情がとても素晴らしいシーンになっています。
ここでのセリフは老人ホームの職員とのひとことふたことだけという、圧倒的なセリフの少なさ!
おじさんがどう思っていたのかまったく語られませんが、そもそもおじさん自身にも自分の気持ちなんてわからなかったでしょう。
しかしこのあと、長い尺をとっておじさんが考え込んで落ち込んでいるようなシーンが続くのも、とても印象的ですね。
それにしても衝撃的なのは、あまりにも屑すぎるおじさんの描写です。
どんな作品であってもキャラクターを作る時にはどうしても感情移入してしまい、徹底的に屑なキャラクターを作るのは難しいものです。
しかしおじさんは東京から豊橋まで、公共交通機関を一切使っていません(というか電車の乗り方すら知らないのでは?)。
出発前から競輪やキャバクラでもらった金を使い果たしているせいもありますが、その後ちまちまとお金を得ても、バスにすら乗れていません。
タクシーをかっぱらったり(しかもまともに運転できていない)、脅しや暴力を働いたり、さまざまな非道なまねをしながらヒッチハイクでたどり着いています。
片っ端から喧嘩腰で恫喝し、やくざにもケンカを売るもののあっさり返り討ちにあう情けなさ・・・。
男はつらいよのフーテンの寅さんもなかなかのダメ男ですが、彼にはまだ人情話がありますから救われています。
この映画のおじさんで唯一救われるとしたら、子どもである正男に対してはやさしく接しているところですね。
久石譲「Summer」
爆発的にヒットした曲と言ってもいいのではないでしょうか。
久石譲と言えば名曲ばかりですが、その中でも特に知られている曲のひとつだと思います。
夏らしさを感じる曲ですが、落ち着いた田舎の風景を思い出させつつも、どこか寂しさも感じてしまうのは私だけでしょうか?
北野武は久石譲の曲をギャグシーンで多用しています!
菊次郎の夏は北野武監督の映画のなかでもギャグシーンがかなり多くなっていますが、悲しい曲調をあえてギャグシーンにかぶせています。
久石譲はシーンにマッチしないのではないかと心配したそうですが、うちに秘める悲しさを引き出す最高の演出になったと、納得したとか。
あるシーンをきっかけに、前半と後半でおおきく物語は変わります。
前半ではひたすら好き勝手に暴れたり、なにかにイライラして攻撃的なことが多いです。
後半では自然のなかで遊びつくす展開で、ギャグシーンが最も多くなっています。
しかし老人ホームの一件などもあり、まさおもおじさんも気持ちは落ち込んでいるはず・・・。
ここに久石譲の曲が加わることで、「カラ元気」が上手く演出されているな、と感じています。
笑って忘れちまえ!なんて言いますが、それでカンタンに忘れられる人なんていませんよね。
「菊次郎」の夏
ここからはラストシーンについてです。
さて、この映画に出てくるのは「おじさん」と「正男」です。
では菊次郎とは誰なのか?
それが映画のラストで判明します。
正男「おじちゃんの名前なんて言うの?」
おじさん「菊次郎だよバカヤロー!」
なんと、正男は数日間における旅の道中でおじさんの名前を知らずに過ごしてたんです。
でもよく考えてみれば、子供の頃っておじさんはおじさんだったな~、って思いました。
この映画では、人物の名前がほとんど使われません。
おいデブ!ハゲ!やさしいおじさん、などなど。
どこまで意図したものかわかりませんし、自然になるように作ったらこうなっただけかもしれません。
そして菊次郎という名前が明かされて、この映画は菊次郎(おじさん)の物語であったことがわかります。
この映画の素晴らしいところは、旅の中で得られた目に見える成果としては悲しい事実を目撃したということだけなんですよ。
正男も、菊次郎も、悲しい現実を目撃してどうにかしてごまかして忘れようとする、それだけです。
具体的になにかを達成したりはしていません。
なので冒険活劇のように悪者を倒したりとか、奇跡的な出来事があってものごとが解決したとか、そういったことは一切ありません。
しかし悲しい事実を目撃したあと、旅で出会った若い連中と過ごすことで、地元でくすぶっていただけでは得られないたくさんの経験がありました。
だからといって正男が劇的に元気になったり、菊次郎がまじめになるなんてことはないでしょう。
これからもきっと、それほど変わらない日常が続いていくかもしれません。
ただ、出会った人たちとの思い出や今まで見てこなかった現実を目の当たりにしたことで、なにか少しだけ得たかもしれません。
ほんの少しだけ成長したかもしれない、そんな曖昧なラストですよね。
私がこの映画のラストから得るものがはいつもひとつです。
劇的な変化じゃなくていいから、なにか少しだけでも得て、前を向いて歩こう。
私は現実は悲しいことばかりだと思っています。
人間はどこへ向かっているのか?と聞かれたら、死に向かっているのだと答えます。
どんなに努力しても叶わないことばかりだし、どんなに配慮しても不幸な出来事が降り掛かってくることもあるでしょう。
しかしだからといって、私たちは生きています。
だったらせめて悲しいことばかりで死に向かう現実という道中を悲しくなくするために、少しでもなにかを得て昨日の自分より1mmでも0.1mmでもいいから前に進んでいくしかないじゃないか、って、想うんですね。
さて、同じく北野武監督のHANA-BIについても感想を書いてみました!
よろしければご覧ください。