模型店で見かけて「カッコいい!作ってみようかな!」と思って買ったスカイラインのレーシングカー。
この時代のことをほとんど知らないので「トミカのスカイライン」だと思って買ったのですが、実はまったく違ったのです。
この車両、なんなんだ?
ネットで検索してもこの車両とピッタリ同じ記事がほとんど出てこない・・・出てくるのはトミカのスカイラインばかり。
そこで制作する前に、そもそもこのクルマがなんなのか?調べてみることにしました。
実車のスカイラインターボ グループ5 キャラミ9H '82とは?
そもそも、トミカのスーパーシルエットって?
歴史
トミカのスカイラインスーパーシルエットと言えばこれ!
しかしよ~く見るとプラモのパッケージの車両とは違います。
ちょっと角度が違いますが、左がトミカスカイラインスーパーシルエット、左がスカイラインターボ グループ5 キャラミ9H。
ぜんぜんカタチが違うでしょう。
なぜこんなにカタチが違うのか?
そのためにはまず、トミカスカイラインから調べてみました。
1982年5月、10年ぶりにスカイラインがサーキットへ帰ってきました。
それがトミカスカイラインです。
同時にブルーバードスーパーシルエット、シルビアスーパーシルエットと、合計3台もスーパーシルエットレースに投入してきました。
当時の日産は海外ラリーをメインに活動していて、国内レースまで対応する余裕はなかったそうです。
しかしどうしても走りたかった有志たちが全国の日産の販売店からカンパをつのって資金を集め、レーシングカー本体は社外、エンジンだけ大森ワークス(現ニスモ)が供給することになったとのこと。
そう、日産の歴史的マシンなのに、実は日産が主導で走り出したわけではなかったらしいです。
メカニズム
LZ20Bの4気筒2リッターターボエンジンは570馬力と数値だけは立派なものの、1982年の技術とベースエンジンの限界もあって超ドッカンターボで非常に扱いにくく耐久性も低かったそうです。
シャーシは、一見すると市販車を改造したように見えますが中身はパイプフレームの完全なレーシングカー。
しかし剛性の低さにドライバーは苦戦し、ギリギリのバトルができるような操縦性ではなかったという話もあるようです。
超カッコいい外見から大人気となったスカイラインスーパーシルエットでしたが、日産が本格的に力を入れていなかったこともあり、性能や耐久性については完璧に仕上がらなかったのではないでしょうか。
ちなみに駆動方式はFRで、エンジンを極限まで後ろに搭載して重量バランスを考慮。
そのおかげでエンジンと車室の隔壁は鉄板一枚(現代のように宇宙航空用の断熱材などない)なのでドライバーはとんでもなく熱く、1レースするとシューズが溶けたとか・・・。
フロントに巨大なインタークーラーやオイルクーラーを設置し、ラジエーターをボディサイドに1つずつ合計2つ設置。
このサイドラジエーターは画期的だったそうですが、空気が当たりにくく冷却に苦心したとのこと。
最終的に
実際のレースでは1984年くらいまで走ったそうです。
1984年ころになるとLZ20Bエンジンの供給はすでに終わっていたり、世界的にグループ5からグループCへ移行していたりして、G5スーパーシルエットレース自体がなくなったようです。
◯◯勝した!と書かれている記事もありますが、実際には接近バトルができる操縦性でなかったためレースではほとんど追い抜きもなくパレードランのようであったという記事もあります。
そのため走る順番をじゃんけんで決めていたのではという冗談もあったほど。
その実績や性能はともかく、カッコいいフォルムや迫力の走行シーンにより大人気になり、ミニカーがとんでもなく売れたそうです。
ここまで人気が出るレーシングカーはもう二度と出ないのかもしれませんね。
スカイラインターボ グループ5 キャラミ9H
歴史
さて、1982年の5月にはトミカ スカイラインスーパーシルエットが登場しました。
それとはまったく別に、1982年に南アフリカの現地日産ディーラーから「キャラミサーキットで走るレーシングカーを作って欲しい」と日産に要請がありました。
こちらのマシンはスーパーシルエットとは別のファクトリー「追浜(おっぱま)ワークス」が製作し、エンジンはスーパーシルエットと同じく大森ワークスからLZ20Bが供給されます。
何も知らずにパッと見ただけでは同じように見えるのも、どちらもグループ5というカテゴリーに照らし合わせるためや、当時の車体設計やエアロ設計の流行があったからかもしれません。
エンジンはスーパーシルエットと同じで、シャーシや、インタークーラーやサイドラジエーターなどの補機類の配置も似たような感じになっています。
しかし共同で開発したわけではなくまったく別々に製作されています。
スーパーシルエットとスカイラインターボキャラミ仕様、共同で同じものを2台開発していればデータの共有などもできて良かったのでは・・・?と思いますが、開発チームごとの競争などもあったんでしょうか。
スカイラインターボキャラミ仕様のカウリングは、スーパーシルエットよりもさらになめらかなボディラインで、まるで90年代のルマンに出ているマシンのようにも見えます。
エアロダイナミクスは完全な手探りで、高度なコンピューターも風洞実験施設もない時代なので、勘で試作して実際に走って確かめて・・・とやるしかなかったのです。
シェイクダウンから決勝への仕様の違い
1.シェイクダウン
2.予選?
3.決勝?
このマシン、残っている写真がほとんどなく、しかも写真ごとに仕様が微妙に違います。
そのためたぶん決勝の写真?という程度しかわかりません。
特に違うのは国内で撮影したと思われるシェイクダウンと、右の南アフリカのキャラミサーキット内で撮影された写真です。
ヘッドライトからフロントフェンダーにかけてカバーが追加され形状が異なっています。
空気抵抗のためと考えられますが、マシンの調整や故障で忙しいのにそんなことするヒマあったのか?謎な改造です。
またボンネット中央がおおきくえぐられ、リアタイヤの前にもエアダクトが追加されています。
また2.と3.ではリアフェンダーの上に導風の囲い?が追加されています。
メカニカルな部分はもちろん調整・故障でさまざまな改良が続けられていたはずですが、外観の変更を見てもいかに冷却に苦労していたかがわかります。
最終的に
実際のレースでは142周(9時間中の何時間までかは不明)でクラッシュしてリタイアしました。
そして残念ながら、このマシンはこのレースただ一度きりしか走ることはできませんでした。
実車はおろか、写真も資料もほとんど残っていないのはこのためでしょう。
さらにこのあと、グループC仕様へと改造されてしまうため完全に幻のレーシングカーとなってしまいました。
そしてスカイラインターボCへ
歴史
1982年11月のレースでクラッシュしリタイアとなったスカイラインターボグループ5でしたが、1983年にグループC規定へ改造し復活を遂げることとなります。
トミカの文字が入っていることからトミカスカイラインスーパーシルエットから進化したかのように解説しているサイトも見かけますが、あくまでもキャラミを走ったスカイラインターボグループ5から改造を受けたものです。
このためキャラミ仕様は実車が残っていません。
仕様
グループ5からグループCの規定に合わせるため大改造されました。
ボディワイド化、ルーフを切って全高を低く、ドアを薄くしてダクト開口部を広くし、リアウイングはボディ幅いっぱいまで拡大し、リアサスペンション形式も変更し、ミッションをトランスアクスル化しています。
エンジンは・・・すでに限界までチューニングされているので570馬力のままだった模様です。
グループCと言えばプロトタイプカーのシャーシにミッドシップというのが当たり前なのに、スカイラインターボCはフロントエンジンの後輪駆動と前代未聞のグループCカーとなりました。
車重は1026kg。
しかし当時最強のポルシェ956グループCは車重850kgとまさに桁違いで性能面でまったく刃が立ちませんでした。
さらに耐久性がまったくなく、参戦できた5回のレース全てでなんらかのトラブルによりリタイアし一度も完走できませんでした。
ちなみに同じグループCにシルビアやフェアレディZも参戦していましたが、外国製のいかにもプロトタイプカーらしいグループCシャーシを使用していて、テールランプだけ市販車のものを使って「シルビア」を名乗るという、個人的にはなんだそりゃって感じのマシンでした。
エンジンは同じLZ20B(日産にはこれしかエンジンがなかった)なので、耐久性がなく苦しんだそうです。
5回参戦したレースごとにやはり微妙に仕様が違い、この写真ではボンネットにウエストゲートカバーや、ドアサイドに導風板が設置されています。
最終的に
1983年に5回レースを走り、全てリタイアという結果でした。
1984年にはプロトタイプカーのシャーシにスカイラインのテールランプをくっつけただけの「スカイラインターボCトミカ」にバトンタッチし、スカイラインターボC'83の活動は終了しました。
なお'84のターボCトミカも結局エンジンはLZ20Bだったのでトラブルの続出だったらしく、スカイラインが華々しい活躍をするのはR32GT-Rまで待たなくてはなりませんでした。
スカイラインターボCの結果は散々でしたが、外観は市販車のイメージを残している本当に美しいマシンでした。
本当に美しいこのマシン、残念ながら廃棄処分されています。
日産に許可を得ずグループC仕様に改造し参戦していたため残しておくわけにはいかなかった、というのがドライバーだった長谷見さんの言葉。
結果を出せば日産としても問題視しなかったかもしれませんが、残念ながらそうはいきませんでした。
大手メーカーがガチガチにプロジェクトを組んでいる現在と違って、カンパだけで大きなレースをしていた時代でなければ生まれなかったマシーンですし、こんな時代だったからこそ後世に残せないマシーンになってしまったのです。
アオシマのキットの歴史
キャラミ仕様のプラモデルなのに、ボディ形状が違う
改めてプラモデルを見てみると・・・パッケージと違う。
実は開封してボディを手に取ったときパッケージと違うことに気づき、そこから資料をもとめて実車について調べることになったのです。
そしてすでに解説したとおり、そもそもたった1レースの間に微妙に仕様が変わっています。
じゃあパッケージには「キャラミ9時間耐久仕様'82」と書いてあるのに、なぜボディ形状はシェイクダウン仕様なんだ?
ボディ形状がシェイクダウン仕様なのになぜデカールだけ決勝仕様(ただデカールの貼り方指示が予選?)
車両の謎が解けたところで、次はプラモデルの構成の謎がうまれてしまいました。
元はグンゼ産業(現GSIクレオス)のキット
現在はどう検索してもアオシマのホームページしかでてきませんが、もともとはグンゼ産業から発売されたプラモデルでした。
このプラモデル、なんと1982年にシェイクダウンしたあと1983年(もしくは1984年)に発売されていました。
正確な発売日まではわかりませんでしたが、このブログを書いている40年前です!
シェイクダウンした当時は期待されたマシンだったのかもしれません。
期待がうかがえる説明書
拡大して一生懸命読んでくださいw
解説文はこれから活躍するであろうこのマシンに対する期待が感じられます。
まさかこのマシンがたった1戦のみで終わるとは誰も思っていなかったのでしょう。
プラモデルの発売日にはすでにグループC仕様に改造されていたはずなので、どれほど売れたかは謎ですが・・・。
こうやって見ると、グンゼ産業から発売されたのがシェイクダウン仕様であることがよくわかります。
アオシマからキャラミ9Hとして販売されているものとデカールが違います。
グンゼ産業からアオシマへ
グンゼ産業はGSIクレオスとなり、このプラモデルの金型はアオシマへと受け継がれます。
アオシマ的にはそのまま売るより、決勝仕様のデカールやエッチングパーツを付けて豪華にして再販したかったんでしょうね。
しかしボディの金型を決勝仕様に改修するのはあまりにもお金がかかりすぎます。
なにしろ知名度がないのでそこまでお金かけても売れませんし・・・。
このようなことから、ボディ形状だけシェイクダウン仕様で、デカールだけ決勝仕様というチグハグなプラモデルになってしまったようです。
組み立て前にプラモデルを観察
説明書等
もともとは電池とモーターを取り付けて走らせられるプラモデルです。
いわゆるモーターライズというやつですね。
もちろんアオシマでは省略されています。
しかしこんな細かい部品で作ったプラモデルをモーターで走らせたらすぐにぶつかってバラバラになってしまうと思うんですが。
ランナーは非常にシンプルで、モーターライズということもあってサスペンションはほとんど省略されています。
エッチングパーツが付属しますが、使用すると逆に取ってつけたような違和感があるものもあるので、適切に使用していきたいところです。
ヒケや表面の状態
パーティングラインやヒケ、波打ちがなかなかすごいです。
最初にこのプラモを見たとき「さすがアオシマだぜ~!」と思いましたが、後で歴史を紐解いてみると、40年前の金型じゃしょうがないなと納得。
ボンネットのダクト各所も開口されていません。
しかし40年前の金型と考えると、古いわりによくデザインされているなあと感心します。
決勝仕様に改造するにあたって
リアフェンダーまわりは、現地サーキットで追加された開口部やリアフェンダー上部ダクトの囲い?などが足りません。
金型の抜きの都合上、リアドアの直後がバックリあいていてスカスカです。
現代のプラモデルなら裏側のパーツも用意されていますが、さすがに40年前なので組み立ててもスカスカで下が丸見えです。
フロントフェンダー先端もシェイクダウン仕様なので、決勝仕様と同じく角ばらせる必要があります。
あと決勝で強引に追加されたボンネット中央のダクトも追加しないといけません。
サイドウインドウはシェイクダウン仕様ですらなく、三角窓が再現されていません。
ドアミラーはなぜかかち上げwww
あとルーフ先端にキャラミサーキットでの表示灯というのが必要です。
だいたい、こんなところでしょうか。
車高のチェック
とりあえずタイヤホイールだけ仮組みしました。
車高はリアだけちょっと高く感じたので、ちょこちょこ削って調整が必要です。
あとはフロントにキャンバーが欲しいのと、前後ともにトレッドを拡大してツライチにしたいです。
タイヤ・ホイールだけでなく、ほぼすべての外装パーツを仮組みして嵌め合いのチェックをしました。
なにしろ40年前の金型とわかった以上、パーツの合いは信用できませんw
ボディの改造
ボンネットのダクト開口
スジ彫りツールでひたすら削って貫通させて、サメエラダクトやNASAダクトを開口。
慣れないもので、けっこうキズが残ってしまいました。
しかし細かすぎて修正しきれないのでまあ諦め・・・。
リアフェンダーまわり
まずはドア後端を延長して、ラジエーターになめらかにつながるようにします。
実車がどうだったかはもう定かではありませんが、まあ雰囲気で。
リアフェンダーまわりにインナーフェンダーを作って、上から見たときスカスカにならないようにします。
しかし完全に接着されているので、この複雑な場所を塗装するのは非常に大変でした。
まあしっかり見えるところではないのでテキトーに塗りましたけど。
どうしても気になるなら筆塗りでタッチアップでいいでしょう。
リアフェンダー上部に囲いを作って、さらに側面に熱抜き穴を開けました。
今回の改造ではここが一番苦労しましたね・・・。
フロントフェンダー先端の改造
プラバンで土台を作って、ポリパテを盛ってカタチを整えました。
ここ、実車でもシェイクダウン仕様にカバーを被せて延長しているだけなので、元々のボディを延長するようなラインで作ればOKです。
ただ、なめらかにするのが非常に難しかったです。
中央のボンネットダクト
ボンネット中央を切り欠いて、プラバンでなめらかに下に落ち込むようにしました。
実車でも現場でとってつけたダクトで、金属の囲い?がついているので0.3mmのアルミ板で再現しました。
このアルミ板は塗装後に接着できるようにしています。
中がスカスカなので、プラバンを箱組しました。
実車でもただの箱みたいなカタチになっていたみたいです。
本当は前方にインタークーラーが見えるんですが、さすがに再現難しいので箱の中をつや消しブラックで塗ってごまかします。
サイドウインドウ
三角窓を追加し、キット付属のウインドウを短くカットしました。
また後ろの三角窓に熱抜き?の板を再現してみました。
ドアミラー
長すぎるドアミラーは根本を短くして角度を調整しました。
もとのダボだと短い上に嵌め合いがイマイチなので、アルミ線を軸打ちして保持力を少しでも保てるようにしてみました。
カーモデルはだいたいドアミラーがぽろりしますからね・・・。
トレッド・キャンバー
キャンバーをつけて、フロントタイヤをツライチにしました。
実は最初、軸を接着してしまってどうにもならなかったので、一度切断して軸打ちしてから調整しなおしています。
ディスプレイケースに固定
タミヤのディスプレイケースCに固定できるよう、シャーシにナットを接着しました。
高さを微調整して、わずかにタイヤが押し付けられるようにしました。
すべては書ききれませんが、これでだいたいの改造が終わりました。
ここから表面処理をしてサフを吹いて、処理をミスしているところを直して、、、いよいよ塗装です!
ここまで2週間もかかりました・・・。
本当はかる~く説明書通りに作ろうかと思っていましたが、さすがに40年前の金型ともなると気になるところが多すぎてあちこち修正してしまいました。
知名度が低すぎてほとんど誰にも分からない改造ですが、かなりカッコよくなりそうな予感です!
しかしこのキット、F40みたいなロードカーとして仕上げて製作しても面白いかもな~と思いました。
続く!