愛クルマ紹介・ニッサン マーチ(HK11)

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ニッサン HK11マーチ

今日は、かつての愛車シリーズの第1弾として最初のクルマ「マーチ」を紹介したいと思います。

自己紹介ページからもリンクを貼って、記録として残していけたらと思います!

なにしろこういう古い記憶というのは少しずつ忘れて行ってしまうものですからね(;^ω^)

 

実は最初に乗っていたクルマはニッサン ローレル(C33後期型)です。

クリーム色で、SOHCエンジンのRB20Eエンジンを搭載したグレードでした。

2リッター6気筒のSOHCエンジンは、同車種のDOHCモデルに比べて低回転のトルクが豊かで、燃費も良かったんです。

当時の乗用車としては珍しい5ATとのマッチングも良く、とても良いクルマでしたね。

室内に装備された、後期型特有の金色のアナログ時計がとても気に入っていました。

内装も外装も本当に美しいクルマでしたね。

事故車上がりで、ハンドルから手を離すと勝手に左に曲がっていくというとんでもないマシーンでしたけどw

親が車を買い替える際に降ろしてくれたのが乗るきっかけでした。

当時はその良さに気付かず、まったく大事にすることなくマーチに乗り換えと共に、廃棄となりました。

 

ニッサン マーチ(HK11)

ニッサン マーチとして2代目にあたる世代です。

初代マーチはスーパーチャージャーとターボを組み合わせたスーパーターボというとんでもないグレードがありましたが、2代目マーチはターボモデルを計画せず徹底的にファミリーカーとして追及するというこだわりがあったそうです。

2代目マーチは「子供にクルマを描かせたらこうなる」という、とてもシンプルな曲線で構成されたとても美しいクルマでした。

まあ、その美しいクルマをだいぶ魔改造してしまいましたが(;^ω^)

当時は1000㏄と1300㏄があり、5MTと4ATのほかにSUBARUから提供されたCVTモデルもありました。

 

なぜマーチを最初のクルマに選んだかと言えば、レース仕様車に憧れたからでした。

市販車としてターボ仕様などを作らないという設計思想だったものの、レースの世界では別です。

N2クラスというオーバーフェンダーを付けたサーキット仕様車や、V6ターボエンジンを積んだ氷上レース仕様車など、レースの世界ではとんでもないマーチがいました。

 

2002年春 納車直後

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納車直後の姿です。

 

さて、たしか2002年の春にマーチがウチにやってきたと思います。

当時マーチを探してもらった条件は以下のとおりです。

 ・1300ccでMTであること。

 ・5万キロ以下の走行距離であること。

 ・オールペン前提なのでボディの凹みや傷は問わず。

 ・グレード問わず。が、パワーウインドウと集中ドアロックは必ず装備しているこ

と。

 ・取り付けるエアロの関係上、前期型であること。

というものだった気がします。

しかしウチにやってきたのは・・・4ドア、1300ccでMT、9万キロ走行、ボディ左右にでっかい傷、PWや集中ドアロックあり、前期型(II型)、アクティブアンプデバイスとい

う謎の純正オーディオシステム、というモノでした。

そのマーチがなんと3万円だったのでそれはもう走行過多でもどうせエンジン載せ換えるのでいいやということでキメちゃいました。

そして購入をキメたら同時にフルエアロオールペン特注ホイールを依頼・・・!

ノーマルの姿で僕の前に存在していたのはたった1日でした。

 

・・・というわけで納車されたのがブローのフルエアロでベイサイドブルーにオールペンでパナスポーツの特注ホイール(なんとオフセット+0)で、という無茶苦茶なマーチでした。

しかもここまでやっておいて車高はノーマル(ぉ

当時は車をイジる順番というかセオリーとかまったくわかってませんでした。

 

2003年春 痛車のハシリ

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高い車高がなかなかひどいw

当時、仲間内で流行りだしたエロゲーのステッカーを貼る痛車を始めました。

まだ痛車という言葉がなかった時代だったように思います。

この時期はアニメというより、エロゲーを元ネタにすることが多かったと記憶しています。

懐かしいです!

 

2003年冬 カッティングシート全盛期

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初めてコミケに行ったときの写真です。

高い車高をなんとかするため、とりあえずダウンサスを入れました。

同時にタナベのダンパーも組んでいたように記憶しています。

しかし純正リアフェンダーをカットせずに組んだオーバーフェンダーがどうしても解決できず、リアだけオバフェンを外しています。

フォグランプはなんとHID!

競技用のため遮光などはなく、HIDバーナーに耐熱ペイントをして水平カットをしていました。

 

某98インテRに憧れたのが、痛車を始めるきっかけだったような?

手作りのバイナルグラフィックが貼ってあるということは、ワイルドスピードがすでに公開されていた時期かもしれません。

 

この時の痛車はレーシングカーか走り屋のステッカーの貼り方で、ステッカーをオタク系で置き換えるというのが主流でした。

2020年現在では車両全体を覆うようなフルカラーラッピングが目立っていますが、当時は個人レベルで実現できるものではなく、カッティングシートを切り貼りする以外にはありませんでした。

ちなみに、エロゲキャラをエアブラシでペイントするという車両がごく少数存在していました。

 

2004年春 ステッカーをほとんど剥がす

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個人で手に入れられるカッティングシートは耐候性のないものも多く、長くても1年、たいていは半年程度で剥がすことが多かったです。

すぐに色あせたり、ひび割れてしまったりしたんですね。

 

ホイールは15インチのP1レーシングの初期型!

2代目のP1レーシングは大流行しましたが、個人的には初期型のデザインがとても気に入りました。

今でこそ低扁平率タイヤはいくらでもありますが、当時はほとんど選択肢がないため純正よりオーバーサイズのタイヤを組んでいました。

 

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ぬいぐるみ大阪のための自作バケットシートと4点シートベルトw

生茶パンダが時代を感じさせる。

そしてサブウーファーのでしでし!(謎)

サブウーファーヤフオクで買ったんですが、このシールが最初から貼られていましたw

誰ともわからない同志とのやりとりだったんですねえ。

 

2005年6月 サーキットデビュー!

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ついにサーキット走行デビューしました!

仲間内でサーキットのフリー走行を貸し切りしてくれて、参加させてもらいました。

この頃から痛車のサーキット走行が流行りだします

なおとある先駆者は、すでに痛車で耐久レースなどに個人的に参加していて、業界では有名でした。

 

この時どこまでイジってたか、あまり記憶がありません。

最低限壊れないように、冷却水を替えて水温計を付けたりしたのは覚えています。

ていうか、スタッドレス用に買ったと記憶してるホイールを履いてるけど、まさかスタッドレスで走ってたんではあるまいな・・・。

 

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Greddyの水温計。

空き缶がピッタリのサイズと知り、底をくりぬいて付けていましたw

 

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リニューアルしはじめたステッカー。

1色のカッティングシートでキャラクターを表現してみました!

プリントするのと違って、白と黒の配色のバランスなどはすべて自分で考えなければなりません。

もちろん機械ではなく、アートナイフだけで切り抜いています!

こういう工夫がとても楽しかったですね。

 

ちなみにGTウイングの翼端板がプリンの形をしていますw

 

さらにハデになる

2005年8月 一番ハデな時期w

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もうアホですね!

全部、手切りです。

何か月かかったんだろう。

リアウインドウのステッカーは剥がれやすいため、角を丸める加工をしています。

ステッカーはすべて、アニメやエロゲー関連のものです。

あと仲間内で流行っていたドクペと天下一品なんかもありますがw

つーかシュタゲが流行る前からドクペのステッカー貼ってたのか!

 

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これは仲間内でやったジムカーナ風の集まり。

サーキットのコースよりジムカーナスペースのほうが安く貸し切りできたからだったかな?

コースを走るのも楽しいですが、ジムカーナっぽいのも面白かったですね!

 

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内装もできるDIYでできる範囲でいろいろやってました。

プリン型のシフトノブは、なんとFRPにも使われるポリエステル樹脂を固めて作った自作!

いくつか製作し、配布したりしました。

 

当時は車内でMADムービーを再生するのが流行っていました。

カーナビが少しずつ出始め、クルマの中にモニターがあるならそこで動画が再生できるんじゃね?というところからです。

MADムービーとは、ニコニコ動画などに投稿されているアニメやゲームのパロディ系ファン動画です。

当時はニコニコ動画などありませんでしたから、個人サイト(という単語も懐かしいが)でひっそりと配布されていたものをこぞって収集したものでした。

で。

車内にパソコンを組み込む猛者もいるなかで、私は東南アジアで流行していたビデオCDプレーヤーを取り寄せ、1DINに押し込んだりしました。

その後DivXコーデックなどが流行しはじめ、DivXコーデックの動画を再生できるプレーヤーなども登場しましたね。

今やスマホタブレットですべて事足りてしまいますね。

 

2006年6月 シルバーカーボンボンネット

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あれだけ凝ったステッカーも、あっさり剥がしました。

あまり長く貼っておくと塗装に食いついてしまったり、塗装の日焼け跡の原因にもなったりしてしまうんですね。

特にこのマーチはオールペン(全塗装)してありますから、余計に気を使いました。

それでも屋根に貼ってあるマグネ大阪は最後の最後まで残ってました。

 

シルバーカーボンボンネットヤフオクで売られていた格安品でしたが、思いのほかよくできていました。

クリア塗装をしなかったため、紫外線の影響で2年ほどでかなり変色してしまいました。

 

少しサーキット走行を意識して、走りのほうに目を向けた時期でした。

カーボンボンネットで軽量化、タワーバーやロワアームバーでボディ補強、車高調(全長式)、13インチのスーパーRAPとADVAN NEOVAなど、ようやく走り屋っぽくなってきます。

っぽい、というだけでサーキットはメチャクチャ遅かったですw

しかしこの時いろいろイジったおかげで、これまで知らなかったいろんなことを覚えられたのが良かったです。

自分で体験してこそわかる価値があることを知ったのでした。

 

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左の青いホイールはレーシングハート!

15インチですが、P1レーシングを履いていた時と違って低扁平率タイヤが登場し、NANKANG NS-2を取り入れました。

 

右の白いホイールはスタッドレス用に買ったエアロホイール!

ネタ用に買ったつもりのエアロホイールでしたが、意外と気に入ってしまいました。

 

2007年9月 ボンネットダクトを入れる

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この時は冷却をテーマにしてみました。

 

カーボンボンネットに穴を開けるのが惜しかったため、保存してあった純正ボンネットをサンダーで切ってFRPの汎用ダクトを取り付けましたw

ボンネットダクトはメチャクチャ効果が高かったですね!

ただ、走行後そのままにしていたらダクトからプラグホール内に雨水がたまって、プラグがリークを起こし絶不調になってしまいましたw

すぐさまカーボンボンネットに戻しましたw

 

また工業用のアルミダクトをタイヤハウスにむけて設置して、ブレーキ冷却も試しました。

当時のブレーキはプロジェクトμのHC+というカーボンメタル系のパッドを入れていましたが、どうしても熱ダレが気になっていました。

もともと12インチホイールが入るように設計された小さなブレーキですから、いくらパッドを強化しても追いつきません。

それが、ブレーキダクトをひいただけで熱ダレがほとんどなくなりましたね!

これは驚きでした。

 

まとめ

9万キロで買って16万キロになり、6年7万キロ乗りました。

エンジンのクランクシールからのオイル漏れがあったり、エアフロが壊れて絶不調になったり、100㎞先の旅行先でデスビが壊れて不動になったりという故障はありました。

ミッションは買ったときからシブくてダブルクラッチをしないとローギアに入らなかったため、途中で中古のミッションに乗せ換えたりしましたね。

しかしそれら以外のめだった故障はあまり記憶にありません。

 

今思えばメチャクチャなイジりかたをしたクルマでした。

それでもそのメチャクチャな中でいろんなことを教えてくれたクルマでもありました。

試行錯誤の中で覚えたことは、今でも役立っていることが数多くありますね。

 

過去の車でもう一度所有したいクルマがあるとすれば、やはりK11マーチです!

 

そして三菱 アイへ乗り換えます。

www.morinokuma-san.com