固定ローラーでロードバイクの室内トレーニングの傍ら、ここ最近ずっと見ていたのは男はつらいよシリーズでした。
かつて20代のころ、男はつらいよシリーズはむしろ嫌いでした。
ろくでなしで肉親にも貢献せずフラフラと遊び歩いてたまに帰ってきてはわがままばかり。
しかし私が30代も後半になり、友人のすすめと、Amazon Primeで無料配信されていたというのもあり、まず第1作目を見てみるか・・・と思いたったのが見始めるきっかけでした。
男はつらいよ
第1作目~第8作目 初代おいちゃん
48作を通して3人が演じており、その1人目が森川信。
ほとんど前知識もなく1作目から見始めた私にとって、しばらくの間はこの初代おいちゃんこそがおいちゃんでした。
江戸弁がサマになっていて、キレのあるキャラクターでしたね。
残念ながら第8作目のあと肝硬変により亡くなりました。
第3・4作目は山田洋次監督が担当しておらず、舞台劇のような一風変わった演出が見られるのが逆に面白いですね。
しかしこれに限らず全体を通して、どうにも動物に対して厳しい扱いが多いなあという気がしてなりません。
イヌとかの扱いがちょっとひどいシーンがあるんですよね・・・。
とは言え当時は動物を見せ物にするのは当たり前という時代でもありましたから、今の価値観だけで判断するものではないとも思います。
第8作目~第13作目 2代目おいちゃん
2代目おいちゃんとして抜擢されたのが松村達雄。
大きく変わったおいちゃんに、最初は違和感がありました。
しかしそれも見慣れてきた13作目を最後に、急な手術のため降板となりました。
第14作目~第41作目 安定した「寅」
おいちゃんが3代目の下條正巳となり、一般的によく知られるおいちゃんとして定着しました。
41作目までは非常に安定しています。
満男が徐々に成長したり少しずつ周りは変わっていますが、あくまでも寅が主役にあって、寅が恋をして失恋して・・・という基本の流れはそう変わりません。
時代の変化
男はつらいよの見どころとしては、時代の流れにあると思います。
第20作では荒川の土手が整備され舗装されています。
役者を見るのも面白く、第20作には若き日の中村雅俊と大竹しのぶが出演しています。
第25作はマドンナ「リリー」が登場する大人気の回のひとつで沖縄が舞台になっていますが、なんとF-15戦闘機が映像として映ります。
男はつらいよシリーズではひたすら鉄道の映像が多いですが、戦闘機が映るのはとても珍しいw
1980年に公開された第27作では、なんとセブンイレブンが登場!
わざわざ蒸気機関車や古い町を探してきて映すのが山田洋次ですが、その対照として最新のモノを映すのも山田洋次ですね。
この当時はコンビニとは言わず、スーパーと呼んでいました。
その後24時間営業になっても24時間スーパーなどと呼び、コンビニという呼び方が定着するのはずっとあとになります。
桟橋や周辺のベンチなども、公開された1982年当時ですらかなりボロボロの様子。
しかし木崎湖畔の風景は今と変わらず、パッと見ただけですぐにわかりました。
1982年12月に公開された第30作で、クロネコヤマトのトラックが登場。
正式名称はトヨタ・クイックデリバリーと言うそうで、1982年9月から運用が開始されたばかりだったそうです。
第36作、AW11が出る(ぉ
トヨタMR-2の初代AW11が2~3カットほど映っていました。
画家を目指す成年の役で、とても良かったですねえ。
第42作~第48作 寅から、満男へ
渥美清は癌で亡くなりました。
渥美清の体調不良もあり、42作目以降は主に甥っ子の満男をメインにした話に変わっていきます。
私は42作目を見たあと、「ああ、ここでもう男はつらいよは終わりなんだな」と淋しい気持ちになってしまいました。
というのも、42作目の最後に旅先から電話をかける寅に対して、とらやに何人もの登場人物が集まって「元気でやれよ~!」とか電話口から明るく声をかけるんです。
従来ではなかった演出に、ここで最終回のような気さえしてしまいました。
43作目以降、満男がメインに変わっても男はつらいよは、男はつらいよでした。
それは、満男という別の視点から寅次郎を見つめることで、今までとは違う寅次郎の姿を見ることができたのでした。
勇気がでなくて恋愛が上手くいかず落ち込む満男は、いままでバカにしていた叔父の寅次郎の気持ちが少しわかるようになっていきます。
そして男同士で話をするうちに、寅次郎のいくじのなさと、そして心の優しさを知るのでした。
あるとき、いつものように周りの連中が寅をバカにするのを聞いた満男が怒るシーンが、とても印象的でしたね。
ちなみにですが、満男は第42作でVT250スパーダに乗り佐賀県まで走りますが、そのあと2回単車を変えています。
第44作ではGPZ400も登場しますが、第48作ではいつのまにか玄関先に単車がなくなっていることから、単車は売ってしまったのでしょう。
第42作以降は立っているのも辛いという渥美清に対して、座っているシーンが多くなるように配慮されたとのこと。
それを事前に知ってから視聴したんですが、そのわりには立って歩いているシーンもけっこうあるし、それどころか表情豊かに演技しているじゃないですか!
この頃はまだまだ平気だったのか?とすら思ってしまいました。
しかし実際は立っているのが辛いだけでなく、挨拶に応えることすら辛かったということでした。
そんな状況でさえも表情をコロコロと変え演技をする渥美清から役者魂のようなものを感じましたね。
最終作となった第48作は、最終にふさわしくリリーが登場。
渥美清はもはや声もかすれていますが、それでも表情は崩しません。
第48作が公開されたのは1995年の12月ですが、1995年と言えば1月に阪神淡路大震災がありました。
喜劇の男はつらいよに震災の様子を描写するか悩んだ山田監督でしたが、被災した現地の人からの手紙により震災の様子を映画に取り入れることを決意したとか。
寅次郎が震災の現場でボランティアをするというのはその方のアイデアだそうですが、確かに寅次郎ならそうせずにはいられないだろうな!と納得してしまいますね。
その後の49作目、そして50作め
を、見るかどうかはまだわかりません。
監督自身は50作目まで考えていたそうですが、生の渥美清が出演していない作品を自分の中でどう捉えられるかわからないです。
渥美清
映画を見終わってから調べてようやく気づいたんですが、渥美清は20代にして肺結核により右の肺を切除する大手術を受けているんですね。
2年の入院後、次は胃腸を悪くしまた1年の入院生活。
これによって酒・タバコはおろかコーヒーすら飲まない節制生活になったとのこと。
男はつらいよの劇中で色んな人がタバコをぷかぷか吸う中で、寅次郎だけがタバコを吸わないのはなんでだろう?と思っていましたが、こういう理由があったんですね。
酒は飲むマネをできますが、タバコはそういうわけにはいきませんしね。
しかし、それにして酔っぱらったフリがやたら上手いのはさすが役者だなあと感心してしまいます。
渥美清のようにひとつの役で有名になってしまうとそれ以外の役がやりづらいというのがありますよね。
声優などは声色やしゃべり方でなんとかなりますが、テレビや映画の俳優は顔が出ますからそういうわけにはいきません。
というのもあって、最終的には渥美清はほぼ寅次郎の役者となったようです。
芸の幅を広げるため他の作品もやってみたいと悩んでいたそうですが、すでに長くやってきた寅次郎のイメージを覆すのは難しかったようです。
意外な私生活として、私生活と芸能活動をキッパリ分けていたというところですね。
なにしろ仲の良かった黒柳徹子などの役者どころか、監督の山田洋次すら自宅の場所を知らなかったそうです。
かなり徹底していますね。
いろいろ個人的な思いもあるでしょうが、特に大きかったのは寅次郎のイメージを崩したくなかったという説があるそうです。
私生活が公になればお客さんが思っている寅のイメージを壊してしまいかねない、という思いから可能な限り私生活を秘匿するようになったとか。
実際の生活は質素なもので、クルマも持たず、食事も豪勢なものはあまり食べなかったとか。
約20作とちょっとの頃の様子が見つかりましたので貼っておきます。
誰でも打ち解ける寅次郎とは対照的に、できるだけ人と関わらないようにしてきたという渥美清ですが、そのしゃべりには常に寅次郎の面影がありますね。
しかし、あの黒柳徹子を笑わせっぱなしにしてしまうあたり、さすが「寅さん」ですね。