寄ってmasねんよ!
酔ってませんからね!
いや、酔ってるな。
ライドが気持ちよく終えられた夜は、いつもチョット呑みます。
なので、酔いにまかせてとりとめもないことをブログに書いたりしたいと思います。
好きなことを楽しむには努力がいる
好きなように生きるのと、好きなことをして生きるのはチョット違う・・・というのは名言が豊富な湾岸MIDNIGHTという漫画の名台詞のひとつです。
ウェーイ!ってとにかく今が楽しければそれでいーや!ってやるのはいいけど、それって本当に楽しいのか?っていつも思います。
世の中のほとんどの人に聞いてみたいんですが、今自分がやっていることに対してどれほど努力しているだろうか?と。
遊びなんだからテキトーでいいじゃん!っていうのもわかりますが、個人的には遊びだからこそ真剣にやらなきゃ損だろ!って思うんです。
思いっきり遊べよ!
自転車にしても、写真にしても、努力してその先にある進歩を楽しむのが面白い、なんて思うのは少数派のたわごとなんでしょうかねぇ。
自分なりの目標を定めよ
自分のことを書きます。
ロードバイクで言えば私は100km2000mUPを余裕を持って走りきれる体力と技術を、常に維持することが目標です。
そのためにはそれなりに継続的にトレーニングやサイクリングをして、身体がソレを忘れないように持続することが大事だと思っています。
スポーツは、1ヶ月休むと3ヶ月分、3ヶ月休めば半年から一年分の経験が失われると聞いたことがあります。
なのでスポーツに限っては途切れることなく鍛え続けることが、結果的にはいつも楽しいサイクリングができることに繋がると思います。
とは言え、それはあくまでも私の目標です。
週末に堤防道路を30kmくらいスーッと走るのが楽しみという人もいますし、レースで入賞を目標にしている人もいますから、人それぞれでいいんです。
大事なのは、その目標を自分の中に持つことです。
写真。
自分の中での写真というのは、人生を通してゆっくり勉強していくものだと考えています。
生涯をかけてひとつずつ焦ることなく、しかし途切れることなく精進していきたい趣味のひとつです。
私の中では、ひとつの撮影地の中でワンカット気に入ったショットが撮れれば良し、という目標を立てています。
最近では、欲をかいて芸術的な写真を狙おうとするよりも、まず教科書的な、お決まりの構図でまず一枚撮ることを自分に言い聞かせています。
しかし自転車にもカメラにも言えることですが、例えばトップクラスと俺は違うんだ、なにも参考にならない、だから勉強する意味なんてない、という考えを持ったらすべてはオシマイだと思っています。
残念ながら世の中にはそういう人が大半で、やる前から諦めて雑になっている気がします。
もちろん自分が世界のトップになれるわけはないんでしょうが、その片鱗でも自分の中に取り入れることができれば、またひとつ自分の中の何かが変わるのでは!?
戦う相手は自分
いつでも比べる相手は誰かではなく、自分でありたいと思います。
誰々さんのほうが速い・・・写真が上手い・・・そんなことを言っていればキリがないし、誰々よりは速い・誰々よりは写真が上手いなんて下を見ていても何の意味もありません。
そんなことを言い出したら、結局は世界のトップに立てないんだからやるだけムダ、ってことになっちゃいます。
そうならないためにも、いつでも比べるのは前回の自分なんです。
他人を意識するとしたら、自分を高めるために他人の良いところを取り入れるということだけです!
努力そのものを楽しむ
誰かが言ってましたが、上手い奴は苦労なんてしてない、努力する奴はセンスがないから努力してる時点で向いてない、なんて。
いや、まあそれはその通りなんですが、後述。
それはさておいて、努力することそのものを楽しめると最高です。
私は今、自転車も写真も努力そのものが楽しいです。
ああしたらこうなるだろうか?こうしたらああなるだろうか?いろいろ考えて実践してみる。
会社の仕事では、結果が求められます。
当たり前のことですが、お客さんは従業員の努力を求めているのではなく、結果を求めているからです。
あなたが自動車を購入したとき欠陥車だったとして、「ウチの社員が寝ずに一生懸命やりました!結果的には欠陥品でしたが、頑張りました!」って言って、納得できますか?
しかし、趣味の世界は違います。
努力そのものが目標だっていいんです。
頑張っている自分をもっと褒めましょう!
失敗は成功の母だと昔から言われている
むかーしからよく聞く話です。
これ、ヒジョーに大事なので、心に刻み込んでおきましょう。
「どうせやっても失敗するかもしれない」と考える人は多いでしょう。
しかし、その失敗は取り返しがつかないほどとんでもないことなんでしょうか?
その失敗から学ぶことはなにもないんでしょうか?
失敗から学ぶことはとても多いです。
あるビジネス書に書いてありました。
人が成長する時というのは、失敗を上手くリカバーできた時だ、と。
例えばお客さんに失敗で悪印象を与えても、リカバーの仕方次第で大幅に好印象を与える結果を得られるケースが多い、とか。
例えば失敗をリカバーした経験が自分に身につくことで、別の失敗を乗り越えるための良い経験になる、とか。
整備をショップ任せにしていたら調整が微妙でフィーリングがイマイチ・・・最初から自分でやっておけばよかった!
しかし、これは次回からは最初から自分でやれば良い結果になるという、いい勉強になります。
今日はこのレンズ一本で行く!と思ったらやっぱり他のレンズが必要だった・・・。
それなら、次からは他のレンズも必要だということがハッキリした!
新しい機材を買ってみたが・・・ぜんぜん使い物にならない!損した!もう機材投資はやめよう・・・。
果たしてそうだろうか?「その機材は自分に合わない」ことが分かったら、他の経験に活かせないだろうか?
探せばいくらでもありますが、人生なんてちょっとした失敗だらけです。
常にポジティブシンキングができれば誰も苦労はしませんが、たいていの失敗は命までとられることはないんですから、思いっきり失敗したらいいんじゃないかって思います。
よくお金をかけて趣味を始めても長続きしなかったら意味がない・・・なんて話も聞きますが、本当に意味がないんでしょうか?
それは、長い人生においてひとつの経験にならないでしょうか?
失敗さがしに夢中になっていませんか?
ひとつの事柄から、成功の要素を見つけ出すことはできませんか?
何ごとも経験。
すごーく短い言葉のわりに昔からよく言われているのには、理由があると思います。
まとめ
要するに、ダラダラウダウダやってたら、面白いことも面白くなくなるよ!ってことです。
自分の失敗ばかりを探していたら、いつのまにか他人の失敗を探すような人間になってしまいますよ。
自分も、他人も、イイトコ探しをできる人間になりたいです。
まー確かに全てにおいてセンスって大事で、向いてない奴はどんな努力したってムダ、なんてのは事実でもありますが。
なので、努力すれば誰でも夢が叶う!なんてのはインチキ宗教家のたわごとであって、そんなわけねーだろ!と思いますけどね。
1年間毎日毎日絵を描いてもロクに上達しなかった俺が言うんだから間違いないゾ。
いや、自分なりに上達はしたけど、世間一般の「絵師」と比べたらゴミレベルだっただけで・・・w
すっかり絵は描かなくなりましたが、トップになれなくてもその努力していた日々は楽しかったし、それがムダだったとは未だに思いません。
絵の勉強をしていたことが、今ではドールを撮影するときにちょっと役立ってます。
まとめのまとめ
ストロングゼロはヤバイ。